大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京地方裁判所 昭和29年(ワ)9314号 判決

原告 斎藤ハナ

被告 高橋利男

主文

被告は原告に対し金一三万円及びこれに対する昭和二九年一〇月一四日から右完済に至るまで年五分の割合による金員の支払をせよ。

原告のその余の請求を棄却する。

訴訟費用を三分し、その二を被告、その余を原告の負担とする。

この判決は、原告において金三万円の担保を供するときは、原告勝訴の部分に限り、仮りに執行することができる。

事  実〈省略〉

理由

(一)  昭和二八年一〇月一日午前一一時一五分頃東京都葛飾区下小松町一、二七三番地先道路上において被告が運転中のその所有の自動二輪車(一九三七年陸王第八一、九三一号)と原告が衝突し、そのため原告が傷害を受けたことは当事者間に争がない。

(二)  そこで右事故がいかなる原因に基くものであるかを考察する。成立に争のない第四号証及び検証の結果によると、本件事故が発生した前記現場は下小松町を荒川放水路に併行して江戸川区小松川方面から葛飾区国鉄総武線新小岩駅方面へと南北に通ずるところの通称改正道路と呼ばれる道路上であつて、右道路は歩車道の区別があり、車道は幅員一一米でアスフアルトで舖装され、右車道の東側歩道は幅三、五米、西側歩道は幅三、二五米でいずれも未舖装であること、道路の両側は商店街であるが、道路は一直線で視野を遮ぎるものもないから、事故現場から小松川方面を望んでみても三〇米は十分に見通しがきくこと、事故現場附近には横断歩道はないが、当時原告が居住していた下小松新聞共同販売所(事故現場の西側歩道に面している。)から北へ約三三米の地点に交叉点があり同所に横断歩道があることが認められ、又交通量については通常尽間は相当頻繁であることが認められるが、成立に争のない甲第六号証及び甲第八号証によると本件事故当時は被告と行き会う車馬もなく閑散であることが認められ、又右甲第四号証によると事故当時の天候は曇天であつたが、その前に雨が降つたため、事故現場の路面は濡れておつたことが認められ、以上の認定に反する証拠はない。そして前記甲第四、第六、第八号証及び成立に争のない甲第五、第九、第一〇各号証並びに証人塚脇正実の証言、検証の結果、原告本人尋問の結果を総合すると、被告は昭和二九年一〇月一日所用で肩書居宅から葛飾区上平井町に赴くためその所有の自動二輪車を運転し前記改正道路の左側を時速約三〇粁で南より北に向け進行し、午前一一時一五分頃葛飾区下小松町一、二七三番地先道路上にさしかゝつた際、原告(当時六五年)がその前方約二〇米の西側歩道から東側歩道に向い車道を横断しようとして北東へ斜めに急ぎ足で出てきたのを発見したのであるが、被告はこれに対し警笛も鳴らさず又減速の措置を講ぜず、そのまゝの速度で進行すれば原告の前方東側を通過しうるものと軽信し漫然と進んだところ、原告との距離が約七、八米に接近した時に、原告は被告の自動車の近接に気付き更に駆足で斜に車道を通過しようとしたので、被告は慌てゝ始めて把手を右に切り同時に急停車の措置に出でたが、十分にこれをしなかつたため被告の自動車は約一五、六米も進行しながら車道中央よりやゝ東側寄りにおいて駆足中の原告の腰に衝突して原告を転倒させ、同時に被告の自動車も転倒しつゝ原告の右足を轢き、加療約三ヶ月を要する右下腿開放骨折の傷害を与えたことが認められる。以上の認定に反する部分の前記甲第五、第六各号証と原告本人尋問の結果、並びに証人染谷ふじ子の証言は信用し難く、当裁判所が真正に成立したと認める甲第一三、第一四各号証によつても右認定を左右することはできなく、他に右認定をくつがえすに足る証拠はない。そして以上の認定事実によると被告は原告を認め、これに接近すると共に警笛を鳴らして原告に注意を換起し、又老人である原告の態度姿勢に注意し、かつ道路面も当時濡れておつたこととて、必要の場合にはいつでも有効に急停車又は方向転換の措置をとることができる程度に、普通の路面においてよりも一層減速して事故を未然に防止すべき義務があるのに、被告は原告を前方約二〇米に発見しながら警笛も鳴らさず、減速もしないで漫然と進行したのは被告の不注意であるといわなければならないのみならず、原告との距離が約七七、八米になつた際においても、本件車道の幅員は一一米であり、かつ前示のように当時右車道を通行中の車馬はなかつたのであるから、被告が適切な把手を切れば、車道中央からやゝ東側を歩行中の原告を避け得たのにこれをせず、又停車の際は十分に急停車の措置を講ずればよいのにこれをとらず約一五、六米も進みながら原告と衝突したのは、この点においても被告は不注意の責を免れ得ないものといわなければならない。

(三)  よつて被告は原告の受傷によつて生じた損害額及び慰藉料を支払うべき義務があるものというべきである。そこでまず損害額について考えるに、原告が本件事故による受傷のため松永病院に入院したことは当事者間に争がなく証人斎藤登の証言及び原告本人尋問の結果によれば原告は右松永病院に昭和二十八年一〇月一日から同年一二月一七日まで入院していたこと、退院後は筒井治療院からマツサージ治療及び電気治療を受けていたことが認められ、成立に争のない甲第第一号証の一ないし七、甲第三号証の一ないし九によると右松永病院に入院期間中の費用として、入院費用金四三、二七〇円、付添看護婦代金二三、四三〇円、松葉杖及び離抜架代金一、二〇〇円計金六七、九〇〇円を、成立に争のない甲第二号証の一ないし一四によると筒井治療院に治療代として金二三、七三〇円をそれぞれ支出したことが認められる。なお、原告は右松永病院に入院中の雑費として金一万数千円(その主張の雑費金一五、〇〇〇円から前示認定の松葉杖等の費用を差し引く。)を支出したと主張し、これに添う証人斎藤澄の証言があるが、右金額が前示認定の松永病院入院中に要した費用以外のいかなる内容のものであるかについては具体的に主張も立証もないから、右金額が本件事故と相当因果関係のあるものとは認められなく、この点についての原告の主張は排斥する。以上の認定に反する証拠はない。

次に慰藉料について判断する。原告は本件事故発生当時六五才の高令者ではあつたが、新聞店の留守番をしていたことは当事者間に争がなく、証人染谷のぶ子、斎藤澄の各証言、原告本人尋問の結果及び成立に争のない甲一一号証によると、原告は元気に右留守番として配達員の世話や現金の出納等をしていたが、本件事故による治療を受けた結果右下肢約三糎を短縮して治癒したものの永久に後遺症として歩行障害は免がれず、現在は肩書居宅において長男の斎藤市蔵の扶養を受け生活していることが認められる。なお、原告は原告の受傷につき被告の態度が冷淡であると主張し、原告本人尋問の結果及び当裁判所が真正に成立したと認める甲一三号証によれば被告の原告に対する申出の賠償金額二万円はり余に少額であるとして原告がこれに応ぜず、話合がまとまらなかつたことは認められるが、他面成立に争のない乙第一号証及び原告本人尋問の結果によると、被告は本件事故発生と同時に直ちに原告を松永病院に運んで入院させ、原告にとつては不満足ながらも昭和二八年一〇月一日から同月一〇日までの同病院への入院費用金一四、八六〇円を支払い、又被告及びその妻は右両名の回数を合せて原告を二、三回見舞つていることが認められる。以上のような認定事実に諸般の事情を考え合わせると原告の右の傷害によつて受けた苦痛につき被告は相当額の慰藉料の賠償をなすべきものであるといわなければならない。

(四)  進んで被告主張の過失相殺の抗弁について按ずるに、前記認定のように本件事故現場付近には横断歩道はないが原告の当時居住していた下小松新聞共同販売所から北へ約三三米の地点には横断歩道があり、又原告本人尋問の結果及び検証の結果によると、原告は横断の際に車道の左右を見廻し、その南方の道路上を北進してくる被告運転の自動車を発見したことが認められることでもあるから、このような場合において歩行者が道路を横断するときは、道路交通取締法施行令第九条には、歩行者が横断するときは、横断歩道がある場合の附近においてはその横断歩道によつて道路を横断しなければならないし、歩行者は斜めに道路を横断してはならない旨規定せられていることでもあり、歩行者は条理上最も危険の少ない方法で道路を横断し、自己の安全に留意すると共に他の者の交通の安全を円滑ならしめるように協力すべきであることは言うまでもないから、原告としては車道を横断し終るまでは細心の注意をもつて車馬の通行に留意し、かつ歩道から相対する歩道に向い直角に車道を横断して事故を防止すべき注意義務があるのに、原告本人尋問の結果及び検証の結果によると、原告は被告の運転する自動車を発見したのみにとどまり、その後は前示認定のように横断することのみに心を奪われて、被告の自動車が七、八米に近接するまでは車道の左右に対して注意を払わず、しかも斜めに車道を歩行したものであつて、もし原告において以上の注意義務をつくしておつたとすれば、原告は落ち着いて被告の自動車を避け得る措置がとれたものと窺うことができる。そうすると原告にも本件事故の発生について過失があるものといわなければならない。そして右の事情を斟酌すると被告の原告に対する損害賠償額は金一三万円をもつて相当とする。

(五)  以上のとおりであるから、被告は原告に対し金一三万円及びこれに対する訴状送達の日の翌日であることが記録上明らかである昭和二九年一〇月一四日から支払ずみに至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を支払うべき義務があるものというべく、原告の本訴請求は右の限度において正当として認容するが、その余は失当であるから棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、第九二条を、仮執行の宣言につき同法第一九六条を各適用して主文のように判決する。

(裁判官 柳川真佐夫 大沢博 海老塚和衛)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例